2010年3月6日 日本財団より助成の内示がありました

地域活動支援センターU型事業所土田の里に対して、昨日、日本財団様より電話があり、かねてより申請中のチーズを作るための主要な機器である、チーズバットの購入の助成についての内示がありました。土田の里でなぜチーズなのという方がおられるかもしれません。またジェラードのようなアイスクリームのほうがいいのにという質問もあるかもしれません。では、なぜ土田でチーズを作るのかというと、それは夢があるからです。欧州では村々にそれぞれ特徴のある熟成タイプのチーズがたくさん生産されています。今から約30年前、私の恩師である中西武雄教授は日本酪農科学会の会長をしておられ、生乳の生産調整の中、牛乳の消費拡大には発酵乳、その中でもヨーグルトよりチーズの消費拡大を図るのがよいのではと考えられていました。今はミルクサイエンス誌と名前を変えましたが、日本酪農科学会誌に世界のチーズの紹介と製造方法を載せていました。私は、その頃まだ学生で中西教授をはじめ越智猛夫教授。今は東北大学に移られた、東北大学農学部大学院、斎藤忠夫教授。そして東北福祉大学畠山英子教授。大妻女子大学へ移った松本憲一教授にチーズをはじめとする発酵食品や様々な食品加工についての講義を受けたり、食品成分の化学実験や微生物実験をしていました。私は4回生になってからチーズの製造と成分分析を選びこれが専門となり卒業論文作成へと結びました。卒論の題目は非熟成チーズの製造と一般成分の分析でした。私は今も忘れていません、中西先生がチーズについて熱く語っていたことを。その後私は、中西先生の勧めもあり大阪の乳業メーカーにとの声もありましたが、父母の待つ岡山へそしてオハヨー乳業に勤めました。職場は市乳工場の受乳場でした。牛乳を載せたタンクローリーの上に登り、ハッチを開け原料乳のサンプルを採って、簡単な検査をするというものです。それからプレーンヨーグルトの製造、各種生クリームの製造、乳酸菌飲料の製造、牛乳の製造、低温殺菌牛乳の製造などを経験しました。酪農部長の紹介で今共に土田の里で働いている、妻とも知り合いました。妻の実家は酪農家でした、何かあらかじめ決められているレールの上を走っているような気分でした。その頃、岡山では岡山大学に中西先生のお弟子さんの中江利孝教授がおられました。私も何度かお会いしたことがあります。いつでも研究室に来なさいと言われました。中江先生が岡山におられたことが大きいと思うのですが、あの有名な吉田牧場のチーズが生産を始めたのがこのころです。私の住む近くでも、チーズを牛窓で作ろうと試みた方もいました。一度お会いしてお話もしたことがあります。しかし生産実現まではいかなかったようです。オハヨー乳業に10年私は働いて、福祉の世界へ転身しました。それでも頭の中はチーズのことが気になっていました。途中、趣味のバラ栽培に熱をあげたりしました。趣味が仕事へとも変わりました。実際土田の里には、小さいながらもバラ園があります。それでもチーズのことは忘れていませんでした。数年前まで、我が家の前には牛舎があり牛が30頭ほどいました。私が、この牧場を引き継ぐのが私の仕事かなとも思っていましたが、簡単にできるものではありません。それでもまだチーズのことは忘れていません。そして今、土田の里チーズができるかもしれないというところまで来ました。私一人ではこれはできることではありません。4月から土田の里は就労継続支援の事業を始める予定です。障害者の方たちの職場としての土田の里、そしてそこで働く人たちとともにチーズ作りに汗を流す。何か大きなものを感じます。本格的な生産はまだ先になりそうですが今から、鍋やかまを使って小規模ながらも生クリームタイプのチーズを作って準備をします。蔵王酪農センターへも研修に行ってきます。講師は恩師の斎藤教授です。岡山発の障害者の方たちと共に創るチーズの発進といきます。非常に長文となりました。少し熱くなりすぎたようですお許しください(藤田)